グーグルやGV(グーグル・ベンチャーズ)で新規事業の創出や改善に使われてきた、SPRINT(スプリント)というプロセスが最近、同タイトルの本になりました。その著者でありスプリントそのものの生みの親でもある、ジェイク・ナップ氏の講義に参加してきましたので、レポートします。
本の内容を再確認・追体験するような部分も多かったですが、やはり読んだだけでなく、実際の事例や映像を交えた話を聞く価値は十分にありました。3時間の長丁場ながら楽しかったです。

簡単に言うとスプリントとは

月曜日から金曜日までのたった5日で企画内容を詰め、プロトタイプ(試作品)をつくって、ターゲット顧客に対するテストまでを実施するための、仕事の手順やコツを体系化したものです。
本の副題に「最速仕事術」とありますが、これは本を売るためには正しいコピーライティングかも知れないですけれど、個人の作業効率がアップするものではないです。あくまで企業でのチームワークによるプロジェクトの進め方の無駄を省き、失敗のリスクを軽減することに効果が期待できるものです。

企業が新商品やサービスを世に出す場合、半年とか1年、モノによってはもっと多くの期間を要する、というのが一般的な考え方でしょう。
ただ、このスプリントによれば、プロトタイプではあるけれど、ある程度のカタチにするまでをたった5日間で実現できます。
そしてこれは単なる理屈ではなく、実績としてもグーグルの数々のサービスや、グーグルの投資するベンチャーの立ち上げに貢献し、また繰り返し実施することで質を高めてきた、いわゆる「ホンモノ」なのです。

では一体、そんなことがどうしてできるのでしょうか?

5日でできることを半年かけて、5人でできることを100人で?

企業活動でのプロジェクト進行をスローにしてしまう理由は主に3つあります。
第一に、1週間の中にいろいろな定例会議があったり、その定例のための準備資料を作る時間も必要だったりで、たぶん正味にしたら40時間(計算上は5日でできる)で終わるようなプロジェクトを半年かけてやっている、と言う事実。
第二に、大企業であるがゆえに関連部門との調整が必要で、5人でできそうな仕事なのに利害関係者100人との調整が必要で、意思決定するのに時間がかかり、先に進まないというケースもあります。
最後に、これが最もよくあるケースですが、商品やサービスに盛り込む機能が多く、実際につくるのに時間がかかる場合。
最初からあれもやりたい・これもやりたい、と実現したい要素を盛り込み過ぎなために、仕様書を固めるだけでも相当な時間がかかってしまいます。しかもプロトタイプでテストをしよう、という発想がなく、プロジェクト開始時点から、市場に出す完成品をつくることを前提に邁進して行きます。このため、発売やリリース直前に初めて経営者に実体に近いものを見せるのがやっとで、そのときに初めて「思ってたものと違う」という叱責を受ける。

そんな日本企業にありがちな課題を、スプリントによって解決できるのでしょうか?

5日でできる、最も意義のあることを少人数で集中してやる

スプリントの参加メンバーは、意思決定者、デザイナー、エンジニアなど最大でも7人のチームに絞られます。そしてメンバーのスケジュールを5日間まるまる空けることが条件になります。その間、PCやスマホなどのデジタルツールは原則禁止。
これにより、通常なら数週間かかっていたようなことがその週のうちにできてしまうのです。
大学で90分の授業を週1回半年間受けたけれど、実際には過去問を1日か2日で集中して解いただけ。それでも集中して勉強すれば単位を取れてしまう。そんな経験をした方もいるかと思います。まさにそんな感じで、ものごとは一気にやれば結構はかどるものなのです。

市場に出す完成品でなく、プロトタイプをつくってテストをする、ということがスプリントのゴールになっているところも重要なポイントです。
半年も1年もかけてパワーポイントに書かれた膨大な量の仕様書をつくって、それにしたがって開発を進める、という重いプロセスは、ややもすると妄想の中で商品像を描いてしまうことになります。そして、何十億円もかけてつくったものが市場に出たあとで実に当たり前な欠陥に初めて気づいたりする失敗も起こりうるのです。
それよりも、最も売りになりそうな価値の高い部分、もしくはお客様が使ってくれるかどうか不安な部分に絞ってそれを解決した試作品をお見せする。それにどんな反応が返ってくるかを観察することで、その後にかける何ヶ月、何十億円をムダにしないですむのです。
ただ、たった数人でつくったものを、スプリントに入れてもらえなかった社内の100人に納得してもらえるのか、という疑問があるでしょう。

スプリントの説得力

スプリントは「5日間こもって合宿をして、企画書をつくってきました」だけではなく、ユーザーテストの結果を出しているところに意義があります。
社内会議で企画に対して、ここがむずかしいとか問題だとか言う人の意見も、市場の声にはかないません。
そして、スプリントには社長や事業責任者クラスの意思決定者を含めることが条件になっています。確かに5日間で大きな方向性を決めてしまう乱暴さはあります。ただ、スプリントを実施して、その結果を社長に説明するという流れだと、社長が「そうじゃないんだよね」とちゃぶ台を返してしまえばそれで終わりですが、そういうことが起こらないですみます。それに、意思決定者がメンバーにいることで、スプリントの最中に意見が割れたり拡散したときに、方向性を絞り込むこともできます。
社長の時間を1週間とるなんてできないよ、という声が聞こえてきそうです。ただ、失敗したときに撤退したり、大幅な軌道修正をするときに使うエネルギーに比べてみれば、ずっとコストが少なくすむと言えるでしょう。

ただ、これってグーグルの優秀な社員と企業文化だからできるわけで、全く未経験なのに本を読んだだけでウチの会社でできるの?という疑問が残ります。

本を読んだだけでできるの?

多くのビジネス書がそうであるように、本を読んだだけで次の日から営業成績が倍になったりしません。
スプリントを実践するのに最も重要な要素は、有効なファシリテーション(議事進行)、優秀なメンバーの選定、そしてメンバーが主旨を理解していることですが、ファシリテーションが一番課題かと思います。
私が過去に所属していたレーザーフィッシュというITコンサルティング会社、Designitというデザインコンサルティング会社では「ワークショップ」と称する、まあ、簡単に言えば、手順がしっかりした企画会議のようなものを、顧客企業様向けに開催することがありました。
多くの企業のみなさまは、そういう第三者を入れずに、泊りがけの合宿で企画を詰めたりすることも多々あると思います。
プロにお金を払って実施してもらう「ワークショップ」は、こういう自己流の長時間合宿よりはよいところがあります。
それは、ファシリテーションが優れていることですね。

ただ、私も長年の間、そういうコンサルティング会社の進行で大きな課題と思っていて解決策を見出せなかったことがありました。スプリントではそれをどうやって解決しているのでしょうか?
それが最も興味があったポイントでした。

ワークショップのなかで、最もつらい消耗する作業とは

これまで私が経験してきたワークショップは、参加メンバーが発言したアイデアをポストイットに書いていって、それをグルーピングし、その中でどれが最もよさそうかを絞り込んでいくスタイルでした。
その評価のためのディスカッションには、とても長い時間がかかって実につらいのです。
ビジネス価値、ユーザー価値、実現難易度などの評価軸を決めて、評価をしていくのですが、サービスの根幹にかかわるけれど具体性が煮詰まっていないものと、具体的で実現するのも簡単だがインパクトに欠けるものなど、粒度もバラバラなので、公正な評価はむずかしいし、評価軸が適切なのかすら、よくわからない。
それに、100個もアイデアがあると議論そのものでエネルギーが消耗していき、集中力も切れてしまいます。そしてちょっと聞くだけでは平凡かも知れないが実は革命的なネタ(世に出る前のiPhoneを、タッチパネルの携帯電話と一言で言ったら、いったい何人がそれいいね!と言ったでしょう)が、誰かの強い一言で一蹴されてしまうかも知れません。また、技術的に難易度が高そうだけれどそれなりの技術者が数時間検討すればできるようになる、といった要素が潜んでいても、その場では「無理だ」となってしまう可能性だってあります。
そして長時間を費やして結果的に高評価を得たアイデア5個が100個のなかから選ばれても、なんかこう、しっくりこない、ワクワクしないものだったりもします。

グループディスカッションは時間の無駄!

スプリントでは、今回の講座のなかでも強調していましたが「グループディスカッションをしない」というのが、最も新しいところで、私が長年感じてきた上記の課題解決のヒントになっている気がしました。

まず、アイデア出しのブレーンストーミングもしません。アイデアは、月曜日に決定した大まかな方向性に基づき、さまざまな情報収集や事例を元に、火曜日に参加メンバーがひとりひとり自分で考えて、案を紙に書きます。
そして水曜日にアイデアが壁に貼り出されます。匿名ですので、社長の案だか営業担当の案だかはわかりません。筆跡でわかるのではないか、というツッコミは置いておきましょう。
発案者によるプレゼンテーションすら、ありません。参加メンバーは、黙って1枚1枚を読んで、気に行った箇所に小さなシール、最も気にいった案に大きなシールを貼ります。小さなシールは何枚でも、大きなシールはひとり1枚です。
この投票が終わったあと、壁を見渡すと、よい部分にシールが集中するなど、ヒートマップのようになっています。
そのなかから「これだ!」というものを選んで、木曜日にプロトタイプ制作し、金曜日にテストをする、という流れになります。

この手法の利点は、ディスカッションによる長時間の消耗戦を省くというだけでなく、責任が不明確なグループディスカッションとは違って、発案者に責任感が生まれ、読むだけでパッと理解できる明解なものを書く努力をすることにあります。
そして、ポストイットに書かれた一言アイデアだけでは漠然としすぎた案に対しても、肉づけをして説得力を高める効果も期待できます。

プロトタイプは、できるだけホンモノに見せる

この講義でさらに感じた、眼から鱗ポイントとしては、プロトタイプ制作のこだわりです。
スプリントの参加メンバーには、実際にモノをつくることができるエンジニアやデザイナーが含まれています。この人選により、最終日に来てもらう顧客に、できるだけ最終商品に近い体験を提供することが可能になります。
サーバシステムを構築することは時間的に無理なので、画面の流れだけを、いかにも完成品のように美しくつくったり、複数案の比較の際にも、わざと名前を変えて、すでに存在する別々の会社のアプリを比較してもらうように見せかけるなど、多くの工夫をしていました。
よく「まだ試作品なのでデザインはこれからです」みたいなサンプル商品の説明をすることがありますね。スプリントのこだわりは、未完成であることを相手に伝えてしまうと、その時点で相手は顧客目線でなく評価目線になってしまい、本来は引き出せるはずだった反応を引き出せないことを防止するためにあります。
そしてこれは私の経験からもそうですが、ユーザー調査は、少しずつプロフィールの異なるユーザーに対して5人くらい実施すれば、よい反応の共通点・悪い反応の共通点は見い出せるものです。たった5人のユーザーでも、全員がよい反応をしたら、これはヒットの可能性が高いと見てよいでしょう。また、全員が悪い反応をしたら、日程がないとか言わず、少しくらいスケジールが押しても、正しいものに変える軌道修正をする勇気も必要でしょう。

まとめ

すぐに明日から実践して効果絶大、というわけにはいかないにしても、知っておく価値は十分にある手法です。ポイントは以下になります。

  • 意思決定者を含めた少人数で集中してやる
  • 全機能を実現するのではなく、最も重要な部分に絞る
  • 案はひとりで全てつくり、ディスカッションに時間を割かない
  • 企画をまとめるだけでなく、プロトタイプをつくってテストまですることを1単位とする
  • プロトタイプはホンモノに近い体験を提供することにこだわる

とくに、大きな予算をかけて実施する巨大なプロジェクトであれば、初期段階でこういったプロトタイプテストをしておくことの意義はあると感じました。

恵比寿UX代表・山田勲Twitter@ebisuux

関連リンク:
グーグルで生まれ、GV(グーグル・ベンチャーズ)で洗練された驚異の開発プロセス「スプリント」の生みの親ジェイク・ナップ氏初来日!貴重なワークショップ講義!
http://sprint.peatix.com/

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