私は、大学での学科は電気系だったが、ソフトウエアが専攻だったので、まさか自分が社会人1年目に半導体の仕事をする、とは思っていなかった。ソニー内定後に人事からそれを聞いたときは、プロ野球のドラフトで自分を選ぶとは思っていな・・・
「Note:私に仕事を教えた100人」の記事一覧
私に仕事を教えた100人 エンジニア編#1「アイツを呼ぶしかない」
1985年、私の会社員としての最初のキャリアは、厚木にあるソニーの半導体の事業所で始まった。入社した時点では、半導体エンジニアの卵にも及ばなかった。大学の専攻がコンピュータのソフトウエアだったし、そのソフトウエアでさえ学・・・
私に仕事を教えた100人 商品企画編#3「巨匠デザイナーとの出逢い」
さすがにもう音楽の授業では歌われないのかも知れないが「かあさんの歌」という昭和時代の楽曲の歌詞に、母親に「せめてラジオ聞かせたい」というフレーズがある。 1960年生まれの私は、すでにテレビが家にあるのが当たり前の世代だ・・・
私に仕事を教えた100人 商品企画編#2「努力する天才」
中学の国語の教科書は、たとえば「夕鶴」「高瀬舟」「枕草子」などの定番作品を含みながら、科学技術に関する文章がひとつくらいは掲載されている。 1998年から2001年まで使われた教科書に寄稿した「0と1の世界」が、その「科・・・
私に仕事を教えた100人 商品企画編#1「ありがとう。」
1985年4月、ソニーの新入社員だった私は、本社で行われた入社式で創業者の盛田昭夫さんのスピーチを聞いていた。彼はこう言った。 …ソニーが自分に合わないと感じたら、すぐに辞めてください。 まだ終身雇用が当たり前だった時代・・・
私に仕事を教えた100人 音楽業界編#3「自分の感性を信じろ」
1992年の音楽業界への劇的な異動後の毎日は楽しくエキサイティングであったが、全く経験もなく不慣れだったので、非常に厳しいものでもあった。 失敗するたびに、仕事が終わったあとの食事の最中にも説教をされ、自分のやり方を全面・・・
私に仕事を教えた100人 音楽業界編#2「じゃ、帰るわ」
その音楽プロダクションの社長は、何もかもがステキだった。 彼女は、イギリスの王族が乗るようなカッコいいクルマに乗ってやってくる。運転するからなのか、飲めないのか、お酒は飲まないので、彼女と酒を酌み交わしながら語ったことな・・・
私に仕事を教えた100人 音楽業界編#1 「オレの責任」
ふむふむ、キミが新しくADになったやまだくんだね。 最初っから何かやらせてもらえると思ったら大間違いだよ。 これからしばらくキミは音楽的発言は一切しちゃいかん。 若いディレクターが音楽的な知識もあまりないくせにスタジオで・・・